ベルギービール麦酒本舗 鹿児島の奇跡

鹿児島で唯一のベルギービールプロフェッショナル伝道師KOOHが、ベルギービール不毛の地【鹿児島】でひとりでも多くの人にベルギービールを広めていく伝道の物語

夢の話…

「もしも自分の寿命がはっきりとわかっていたら」

みなさんはもし、はっきりと一週間後に人生を終えるとわかっていたら

残りの一週間で何をしますか?

と、ビールバーの日記とは思えない題材のお話しを今日はしようと思います…

興味の無い方はスルーしてください。

最近のツイートを見て、今までのように頻繁に呟いていないな、と感じた方もいらっしゃるかも知れません。

実は最近、いろいろと調子が悪いのです。

いや、悪いというか…なんでしょう。

これが40になると言う事なのか(笑)

体調的な事だけでなく、巡り合わせ的な事や夢であったり…

どうもうまく噛み合なかったり。

決して、それが不安でたまらないとか、そういう事でもなくて。

ここ数ヶ月間、強烈な眠気や偏頭痛が続いています。

そして、ここ数日見る「夢」が妙です。

ものすごく緻密で、計算され尽くしたかのような物語に入り込んでいる感じ。

そこに矛盾は無く、しかし実際にはあり得ないような話。(現在の一般常識的には…ですが。)

触感もにおいもあり、現実に起きている事なのか区別もつかない。

その夢の中では明確な使命を持って動いており、まるで映画を観ているかのように話が進む。

そして、次の日の夢はまた同じ使命により別の行動をする、つまり続きを見るんです。

今まで生きて来て、夢は「夢」であり、続きが見たい!と思って急いで寝ても、決して続きを見れる事はありませんでした。

たしかににおいや、触っている感覚がはっきりとある夢もありましたが、大抵、ストーリーにはかなりの矛盾があり、夢の中で「あ、これは夢なんだな」と自覚していたりしました。

今回の夢では、あり得ないような話にも関わらず、矛盾が無い。

そして…

あまり、皆さんにとって(全ての人にとって)いわゆるハッピーな感じではない。のです。

でも、不安で一杯でもない。

内容は書きませんが、ずっと続いて行く悪夢。

繰り返しではなく、ストーリーが日常生活のように続いて行く。

目覚めた時に、どちらが現実か戸惑う。

では、仮に、この夢で起こることが現実に起こる事なのだと確信出来たとして、それは一週間後には確実にあなたはこの世の中にはいないとしたら。

「あなたはこの一週間、何をして過ごしますか?」

真剣に考えてみて欲しいんです。

突然、寿命が残り一週間と知ったら、人間はどんな行動をとるのか。

病気で余命一週間だとすれば、体は衰弱しきって思い描くような行動はとれないと思います。

体は元気なまま。今のまま、あなたは一週間後には死ぬ運命ですよ。

そして、何をしようがその寿命を変えることは出来ませんよ。といわれたら?

知っている人も多いかも知れませんが、私は過去に交通事故で2度死んでいます。

正確には臨死体験をしています。そして蘇生してこっちの世の中に戻って来たと言う経験をしました。

それによって、残りの人生をどうやって生きるべきか、真剣に考えていた期間が数ヶ月あり、今までには出来なかった行動をとることによっていま、鹿児島にいます。

なぜ、死ななかったのか、なぜ、死ねなかったのか。そう考えて残された時間するべきことを必死に探していた期間がありました。

そして、今までの自分の行動を清算する時期がありました。

お金をかけていた趣味も全部辞めました。

「よく、思いきって鹿児島に来たねぇ」

よくいわれますが、このような時期があり結果今、ここにいます。

ここ数日見ている夢は、なんだかこの頃の何をするべきか、何の為に生かされたのか、と真剣に悩んだ時期とかぶります。

今思い返すと、その時の状況は夢の中だったのか現実だったのかあやふやに思えるほど。

今回のは「あとわずかな時間」という制限付きです。

この「予知夢」のような出来事が、100%実際に起こることとしたら

どんな行動をとりますか?いや、とれますか?

過去に、予言により終末を信じた人がその前日までに全財産を出来る限りの贅沢に使い果たし、破産した人もいましたw

残り時間を私利私欲の為に使い果たそうと考えるのか。

他にも、最後の時は愛する人と静かに迎えたい。と何もしないことを選んだ人もいました。

実際には世界の終末はまだ来なかった為に、翌日からはいつも通りの生活に戻りました。

さて、今回は世界の終末とかではなく、自分の寿命が残り一週間と確定していることを知ってしまった場合です。

どんな気持ちになるのでしょう。

刑が確定した死刑囚は、ある意味この状況に似ているかも知れません。

でも、死刑囚の場合は行動はかなり制限されています。

あなたは何の制限もありません。

なんだか、モヤモヤする話になってしまって申し訳ないのですが

何となく人生を送って来てしまった人間達にはふと、使命に振り返る機会が訪れているのかも…なんて感じてブログに書いてみました。

感じたことを、どうぞご自由にお寄せください。