ありがとうございました!
しばらくぶりの更新です。
父が鹿児島に転院してちょうど1ヶ月。
埼玉の病院の時とは違い、食事もおいしいし、なにより家族全員が代わる代わる見舞いに訪れる。
父の顔に笑顔が戻り、とても調子が良さそうでした。
埼玉にいる時は、母しか見舞いには行けず食事の制限もとても厳しいところでしたから何も楽しみが無く、笑顔のかけらも無かったと。
こちらに来てからは顔色も良く、「もう少し元気になったら外出も出来そうですね」と言われていたので、鹿児島観光を楽しみにしていました。
本当に突然のことです。
11月22日
朝の検温時にはいつも通り会話もして、元気そうだったらしいのですが
朝8時過ぎに病院から電話が入り「容態が急変しました。ご家族集まってください」と。
前日の見舞い時には「久しぶりにお菓子が食べたい」というので買って行こうと思っていた矢先。
急いで病院に。
着いた時には既に意識はなく、心肺蘇生の最中でした。
突然の不整脈で昏睡状態になったらしいです。
そのまま、意識は戻ること無く午後12時21分に亡くなりました。
前々日、息子の学校「神村学園吹奏楽部定期演奏会」のために熊本から義母もやって来ていて、初対面したばかりだった。
大隅の方から母方の親戚も見舞いに来たばかりで、これで会うべき人全ての人に会えた安心からだろうか、家族全員に看取られて人生を終えました。
埼玉にまだいたら、母以外誰も間に合わなかったでしょう。
孫も抱けたし、ずっと気がかりだった母方の親戚にも挨拶できたし、もうやり残したことは無かったのでしょう。
実はこの日、母と義母が初対面を果たしたばかりだったので霧島で食事会をする予定だったんです。
もちろん、キャンセルすることになってしまいましたが…
寂しがりやの父が、自分だけ置いて行かれるのが嫌だったのでしょう。
おまけに友引が間に絡んで、亡くなった日から葬儀まで3泊4日。
こんなに長くかかるお葬式も珍しい。
斎場の控えの間を4日間借り切り、家族全員で過ごすことになりました。
このタイミングでなければ義母が鹿児島にいることも無かったし、息子も定期演奏会後のオフ日だったので臨終に間に合った。
気持ちを伝えるのが下手で、強がりで、でも寂しがりやの父らしい。
最期には父の知る親戚全員が集まれた。
なんて幸せな最期だったんだろう。
店のこともスタッフたちが何とか切り盛りしてくれたので助かりました。
これで、母の肩の荷も降りた。
余命宣告を受けたのは2年半前。
この2年半はロスタイムです。
そう思えばけっこう良い時間をもらえたと思います。
そして、この世から形が亡くなった11月25日。
この日は父の誕生日なんです。
63年前のこの日にこの世に誕生し、63年後の同じ日に肉体を返した。
母(埼玉)と姉(茨城)の家族が疎開し鹿児島に引っ越して来てまだ1ヶ月も経たず、やっと荷物が片付いて来たところでさようなら。
あまりにバタバタし過ぎて、母はしばらく放心状態でしょう。
でも、お陰で悲しんでいる暇もありませんでした。
実家を売って、鹿児島に来る決断をしていなければ…
しかも今、関東では売りに出しても買い手が全然付かない状態で、たまたま速攻で売れたし…
長男の定期演奏会が無ければ義母は来れなかったし…
いろいろと奇跡的なことが重なって、とても幸せな葬儀になりました。
お店のお客様や、ツイッターのフォロワーさんからもたくさんのお悔やみをいただき、本当に感謝です。
臨終の時には泣かなかったのに、お客様からの励ましのメールに涙しそうになりました。
この場を借りて、皆様にお礼申し上げます。
父は、魂が抜けたとたんとても安らかな表情に戻りました。
病気になる前の、カジキマグロを釣りに海外に一人で出かけて行ってしまうほど元気な頃の顔に。
不思議ですね。
今頃、切断された両足も生えて、自由に空も飛び回っていることでしょう。
一人っ子で、わがままで、根は優しいのに意地っ張りで、表現下手な父へ
「本当にお疲れ様でした。いままでありがとう!」